その昔インドネシアでのある日ある場所で


日本人が海外旅行に自由に出掛けられる様になったのが確か1970年ごろ
だったと思います。

US$の持ち出しも$1,000以内と決められていて【1$=¥365】の頃です。
持ち出す金額を銀行へパスポートを持って行って記入してもらい印鑑をもらいます。
今では考えられない事です。

当時の国際空港は羽田と伊丹空港のみでほとんどが羽田空港でした。
また航空機はDCー8が主役でボーイングは707という飛行機でした。

ベトナム戦争の真っ只中でベトナム上空は避けて飛んだりまたキャセイ航空は
サイゴン(今のホーチミン市)に寄る便もあり着陸に入ると窓を閉めて外は見るな!と言うアナウンスがあり緊迫した着陸でした。

インドネシアの国内線の飛行機はそれはすごい飛行機が勢ぞろいです。
DC−3 という飛行機にも乗ったし、ローカルの小型機は床が抜けているのにも
乗りました。

まず当時の行きかたはジャカルタから国内線で東カリマンタンのバリックパパン空港
へ行きそこから車で3時間マハカム河の河口まで、そしてまたモーターボートに乗り
河をさかのぼる事1時間でサマリンダと言う街に到着します。
途中もスムーズに行かれる事は滅多にありません。料金の交渉や車の故障
いろいろあります。1度は前を走っていた車のタイヤが外れて田んぼに車が落ちて
けが人を救出した事もありました。


少し距離があると当時のカリマンタンは道路はなく海上か空しかありません。
アイランダーという6〜7人乗りの小型機に毎日のように乗って移動する事も
あり、時にはエンジンがかからず何人かでやっと動き出して飛んだこともありましたが
なんとも不安なフライトでした。
またある時は飛行場で待っていて着陸に失敗して大破してしまい結局
その日のフライトはキャンセルで翌日飛んで来たのが古い軍用の水上飛行機でこれも
ひどい機体でした。

この頃我々の世代【世間で団塊の世代】といわれている人たちは日本から脱出
して海外で仕事をする事を望んだ人たちが多かったのです。
ある人は料理の勉強にフランス、イタリアに渡り、またアメリカに渡り事業に成功
した人達や中には失敗した人達もいたのでは・・・・・・・・でも今では楽しい事ばかり
でした。




ロックトアン
東カリマンタン州の赤道近く
海の中に白い部分は珊瑚礁です。
日本からの材木運搬船はここまで入港
出来る天然の良港で他には在りませんでした。
下に見えるのは木材の筏です。

左の写真のL字の道路に上にある
事務所兼宿舎

床下は海魚釣り、トイレも・・・
蚊とか虫は少なく快適でした。

大潮の時には魚が飛び込んで来るのです

荷役の親方と
以前は大統領の親衛隊だったとか

サマリンダで

なんとなく情緒があって好きな景色

この河で洗面、洗濯、トイレ、すべて
初めて見たときは帰りたくなりました。

ジャングルの奥深く

橋はこうやって造ります。

赤いシャツが私

これも私

ヘリコプターから
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